ブロ野球書評ニュース

野球の本に関する書評のブログです。

甲子園という病

氏原英明[2018]『甲子園という病』 ,新潮社(新潮新書

 「甲子園至上主義」高校野球に対して,もっと高校生らしい野球,部活動,ひいては若者の育成を行うように,警鐘を鳴らすルポ。けっして甲子園で身体を壊した悲劇のヒーローに焦点を当てるだけではなく,現代にふさわしい監督の指導方法とは何か,文武両立に対する高校生の取り組み方はどんなものか,著者は,複数の事例を挙げながら,提唱する。

 第1章では,2013年に木更津総合高校のエースだった千葉投手を紹介。高校生のがむしゃらさを止められるだけの大人の意見や環境づくりの必要性を訴えかける。千葉投手の「異常な」投球は,ネット動画にもアップロードされているので,それを見ながら本章を読むと,問題の大きさを把握しやすい。

 第2章は,いわゆる指導者のエゴを問うもの。ここにケガに泣いた選手として,岸潤一郎選手が紹介されているが,彼は2019年のドラフト会議で埼玉西武に8巡目で指名された。右肘の靱帯を損傷しながらも,プロ入りが叶い,2021年には一軍での出場機会を大いに得られた同選手には,著者も今後ますます取材をしたいに相違ない。

 第3章では,松坂大輔投手と黒田博樹投手から考える”早熟化”がテーマとなっている。選手生命の末路として,どちらが良かったのか,横浜高校の恩師の言葉も交えて陳述している。

 第4章では,メディアが潰した「スーパー1年生」として,酒田南高校のスラッガーだった美濃一平選手のエピソードを語る。地方都市においては,おらが町にヒーローが突如誕生すると,それを周囲が持ち上げてしまう傾向にあるが,やはり10代の若者に背負わせる期待はあまりにも大きい。こうした高校球児の学校生活に対して,大人の責任を投げかける。

 第5章では,野球の指導方法指導者の在り方について論説。プロ・アマを問わず,「しっかりと指導者が勉強をする,研修を受けるような機関を作って,段階を踏んで指導者になるべき」(94頁)と持論を展開させる。

 第6章では,「プレイヤーズ・ファースト」の概念が,とりわけ高野連に欠如している点を追求する。高校野球の制度自体も近年タイブレークを導入するなど,変わりつつはあるが,それでも,その変革の遅さを痛烈に批判する。

 第7章は,「楽しく」野球をやる原点を,福知山成美高校の事例を通じて紹介。とくに「食事トレーニング」に対しては拷問であるとして,厳しく批判する。

 第8章は,沖縄県美里工業高校の指導者を事例に,高校生に対して求められる野球以上の教育的観点について言及。高校のレベルに応じて,生徒たちが野球だけでないものを高校全体で身に付ける重要性を訴える。

 第9章では,安田尚憲選手(履正社千葉ロッテ),根尾昂選手(大阪桐蔭→中日)へのインタビューをもとに,野球を身に付ける下地になったものを紹介。とくに安田選手は歴史書の多読から勉強への理解力を修得し,根尾選手はスキーで鍛えた体幹が野球にも活かされていることを謳った。

 最終の第10章では,近年の高校野球が形式的なものにとらわれ過ぎて,高校生の個性やエネルギーの発動にブレーキをかけている物足りなさを批判し,本来の高校野球が「教育」の一過程に過ぎない点,そして大人の都合で彼らの可能性を狭めている点を強調している。

 読書前は,現行の「甲子園」,すなわち春夏の高校野球制度自体への批判かと思っていたが,本書を読み込んでいくうちに,話題は日本の中等教育の現状と改善点への進化していく。これは,野球なり,部活動なりで収まる範疇ではなく,肝心の勉強面自体が大学受験至上主義になっていることとも重複してくるだろう。勉強も,部活も,プライベートも,楽しいと思えるような高校生を増加させる努力を,「大人」は今後さまざまな場面で考えていかなければならない。

 ただし,第3章の松坂大輔評に対しては,現役を引退した今日において,どういう野球人生が望ましかったのか,松坂本人の意見も交えて,改めて問われるべきだと思われる。

 

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