ブロ野球書評ニュース

野球の本に関する書評のブログです。

「名コーチ」は教えない

髙橋安幸[2022]『「名コーチ」は教えない プロ野球新時代の指導論』集英社

 本書は,「名コーチ」とはどういう人を示すのか,どういう条件を備えている人なのかを,明らかにしようとするドキュメントである。
 ファンはしばしば,エラーやミスをする選手に対して,「コーチがもっとしっかり技術を指導しろよ」と批判するが,技術指導だけがコーチではない。それに加えて,従来の昭和時代型コーチは,自身の経験だけを素材とした命令基調のティーチングであったが,それで結局,多くの若手選手が成長してきたわけではない。なかには,そうした経験自体が,のちに反面教師になることもあり得た。著者は,監督でもなく,選手でもなく,コーチという存在に焦点を当て,2021年時点で球団に所属していたコーチングスタッフ6人に取材を行い,本当の「名コーチ」の条件を探究することに努めてきた。
 序章に続いて,本章では,6人のコーチ(石井琢朗鳥越裕介橋上秀樹吉井理人平井正史大村巌――以下,人名は敬称略)が,1人1章ずつ,著者のインタビューに対して,コーチングのプロセス,そして「名コーチ」とは何かを回答している。まず,6人のコーチングには,投手・野手を問わず,なんでも教え込むのではなく,選手自身に主体的な達成感をもたせることを共通点としている。ただし,そこに至るアプローチは,6人6様であった。たとえば,鳥越や大村のように,家庭的な躾という観点から入団まもない選手たちを育成する方法もあれば,橋上のように,データをもとにして主力選手と個別に対話したり,吉井のように,大学院へ進学し,専門的な心理学や生体力学の研究を修得した成果コーチングの現場で活かすやり方などがある。橋上と吉井の受け答えが理論的かつ具体的である分,他の4コーチのコーチングがやや抽象的・一般的な印象を拭えなくはないが,それでも本書としては,さまざまな事例を列挙することに意義がある。
 読者によっては,贔屓の球団におけるコーチングを垣間見るという読み方をするケースもある。ライオンズファンとしては,橋上秀樹を語る第3章は,熟読するに値する。
 ファンの間では,いわゆる「暗黒時代」と呼ばれる田辺監督期の最終年(2016年)に,ライオンズの作戦コーチに就任した橋上は,チームの三振数を減らすことを至上の命題とした。そのターゲットとなった浅村栄斗森友哉に対しては,彼らと個別に対話することで,両選手とも2ストライク後の打撃が改善され,つなぐ打撃の大切さを再認識できるようになったという(88頁)。また,金子侑司に対しては,それまでの打撃練習で中村剛也や浅村と同じようなバットの振り方をしていたのが,自身のセールスポイントを強調させることで,選球眼が磨かれたという。そういう意味で,2018~19年の「山賊打線」は,橋上のコーチング力なくして語ることはできないといえよう。紙幅の制約で省略されたのかもしれないが,惜しむべくは,浅村,森,金子が,橋上のサジェスチョンをどのように受容していったのか,その返答も,言葉として聞いてみたかった。
 最後に本書の構成に関して,2点指摘しておきたい。
 第1に,序章は,「名コーチ」とは何かの問題提起をしながら,かなりの具体例も書かれていたために,幾分長く感じられた。序章では問題提起のみを語って,荒川博土井正博根本陸夫の部分は,各論が展開されるまでの短い第1章としたほうが,読者には読みやすかったかもしれない。なぜかというと,根本による「どれだけその選手の目標をサポートできるか」という台詞が,序章にして,本書の結論となっているため,読者によっては,各章を読む必要がないとも思ってしまうからだ。
 第2に,「名コーチ」の条件を,どのようにカテゴライズするか,この結論がやや弱かった。「コーチになるからには自ら勉強するしかない。近道はなく,地道に続けるしかない」(216頁)という締め括りでは,この議論が先に発展しづらいからである。そのなかで,アナリストとコーチの関係性(212-213頁)を今後の課題として設定したのは,非常に有益だろう。橋上・吉井型のコーチングはアナリストとマッチしやすいが,鳥越型のそれはどのように関係性を築いていくのか,続編を待ちたい。

詰むや,詰まざるや

長谷川晶一[2020]『詰むや,詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』,インプレス

 本書の目的は,いまでも激闘と讃えられている西武ヤクルトによる1992~93年日本シリーズ計14戦の試合過程と勝敗のキーポイントを,黄金時代のメンバーたちと回顧しつつ,そのうえで,「両者の決着はついたのか?一体,どちらが強かったのか?」という問いを,四半世紀超を経た現在,彼らに投げかけてみる点にある。

 著者が大のヤクルトファンであり,92年の覇者が西武,翌年の覇者がヤクルトである以上,本書の構成自体が,常に西武による表の攻撃ヤクルトによる裏の攻撃というヤクルトのホームグラウンドというタッチで描かれている。したがって,西武ファンである評者からすれば,ビジター応援しているような感覚で講読していたが,双方のチームメンバーには,贔屓なく客観的に語られている点では,敵味方関係なく非常にフェアで,他球団ファンでも読みやすいに相違ない。

 本書のおもしろさは,当時主役を演じた監督・コーチ・選手たち一人一人に,四半世紀以上経過して誰を欠くということもなく,インタビューできている点にある。この取材に対する時間的コストは,コロナ前であったとしても,膨大なものであったと推測される。

 本には,書くタイミングというものがある。決戦の直後では,憚れる暴露もあるだろう。「いまだから言える」という時効が必要となる。それと同時に,「いまだから言える」にしても,リミットがある。とりわけ,本書の主人公である野村克也監督は,2020年2月11日に逝去している。したがって,それ以降であれば,もう二度とノムさんから本音を引き出すことは叶わない。

 他方,有罪判決を経て語るにも語る場を失っていた清原和博は,2020年6月15日に執行猶予を満了した。刊行の時期から推測して,清原への電話取材は猶予期間中だったのだと思われるが,いずれにしても,ノムさんにも,キヨにも話を聴けるチャンスに恵まれたことが,本書の刊行に絶好のタイミングを与えていたといえよう。

 本体価格が2000円というのは,野球本としては高額な部類である。だからといって,本書を上下巻に分けてしまうと,92年と93年の日本シリーズが断絶してしまって,前年の「伏線」を翌年に回収することができない。400頁近くに及ぶドキュメンタリーは,たとえ直接話法が繰り返される文体であったとしても,一気に読み通すにしては長い。そうであるならば,ここは,往時のプレーをYouTubeや動画で振り返りながら,じっくりと本書を読むのをお薦めしたい。

 その「伏線」に当たるものはいくつか確認されるが,拙評では2点挙げておきたい。1つは,名外野手・飯田哲也の守備,もう1つはギャンブルスタートである。

 飯田は,92年第7戦の7回表1-0ヤクルトリードの場面で,「打者」石井丈裕のフライを落球してしまったことで,同点に追いつかれてしまう。

 しかし,翌年第4戦の8回表1-0ヤクルトリードの場面で,二塁走者・笘篠誠治の捕殺に成功し,この試合に勝利をもたらした。

 他方,ギャンブルスタートに関しては,92年第7戦で飯田落球後の7回裏1-1同点1死満塁の場面で,三塁走者・広沢克己が試みるも,「お嬢さんスライディング」となったために伊東勤のブロックに阻まれてしまう。結果的に,ここで勝ち越せなかったことが,ヤクルトの優勝を遠のかせたとして,語り継がれている。

 だが,翌年第7戦には,8回表3-2とヤクルトが1点リードした1死三塁の場面で,走者・古田敦也が広沢のショートゴロの間に,ベンチのサインを無視してギャンブルスタートを試み,1点をもぎ取った。このギャンブルスタートは,前日の第6戦にもヤクルトが仕掛けてきたが,不発に終わっている。そうした1点の奪い合いこそ,西武の森祇晶監督は,印象に残っている場面として挙げている(336頁)。

 飯田の捕球にしても,ギャンブルスタートにしても,ヤクルト側が1年目には失敗し,2年目に結実している。だからこそ,2年で1つの日本シリーズなのであり,その物語を1シーズンで断絶させてはならないという思いが,行間から滲み出ている。

 また,これら4つのプレーのうち,3つが第7戦で発生している。だからこそ,日本シリーズの第7戦には,とりわけ特別な意義が存在していることを,改めて認識させられる。93年以降,日本シリーズは昨年までに29回実施されているが,第7戦までもつれたカードは,2003年ダイエー阪神の内弁慶シリーズ,2008年の西武巨人,2011年のソフトバンク中日,2013年の楽天巨人の4回しかない。

 そのなかで,2008年の第7戦では,今度は西武がギャンブルスタートを片岡易之中島裕之によって決めることができた。(若干,ゴロゴー気味ではあったが。)であるならば,同年の日本一は,野村監督が宿敵巨人を倒すために西武へ授けてくれたものだと言っても,過言ではなかろう。ただし,広沢自身の「≪ギャンブルスタート≫ではなく,≪広沢スタート≫って読んでもいいんじゃないのかな?」(344頁)という期待には,現在もなお応えられていない。(笑)

 結局,両者の決着はついたのか?監督・選手の大半が,決着はつかない,引き分け,それでも西武のほうが上と多く回答するなかで,飯田だけが「ヤクルトの勝利ですよね」(359頁)と明快に答えているのが印象的だった。彼にとっては,ヤクルトの勝利であるとともに,自分自身への勝利だったのだろう。

 近年は,クライマックスシリーズの導入によって,2年連続で同じ組み合わせになる可能性が低い。そのうえに,とくに最近8年間は,ソフトバンク(の秋山幸二工藤公康両監督)が強すぎたのか,はたまたセ・リーグの出場チームが弱すぎるのか,第7戦を実施する日本シリーズに恵まれていない。4戦全勝の完膚無きまで叩きのめす日本シリーズも結構だが,球史に残る駆け引きと記憶という点では,第7戦の日本シリーズを,そろそろ見たい

 スワローズは2019年7月11日,ヤクルト球団設立50周年を記念したOB戦「スワローズ ドリームゲーム」を開催した。ここにおいても監督として登場したノムさんは,選手としてスワローズOBではないにも拘わらず,自らに代打を命じ,久々にプレイングマネージャーぶりを発揮した。死期は近づきながらも打席に立つノムさん,そしてノムさんを支える愛弟子の真中満川崎憲次郎・古田・池山隆寛の表情が,いい大人たちなのに,実に愛らしい。この一コマの写真は,野球殿堂博物館の企画展「野球報道写真展 2019」で「ベストショットオブザイヤー」を受賞した。(436票には,評者自身の投じた1票も含まれている。)

hochi.news

 翻って,ライオンズでもこういうOB戦,そして監督が打席に立つ姿を想像できるだろうか。スワローズを羨ましく思いつつも,こうしたOB戦の実現性はかなり低い。評者自身が決着を申し渡すことを許されるならば,こういう側面を含めて,軍配はヤクルトに上がったとしても問題なかろう。

 

https://www.amazon.co.jp/%E8%A9%B0%E3%82%80%E3%82%84%E3%80%81%E8%A9%B0%E3%81%BE%E3%81%96%E3%82%8B%E3%82%84-%E6%A3%AE%E3%83%BB%E8%A5%BF%E6%AD%A6-vs-%E9%87%8E%E6%9D%91%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE2%E5%B9%B4%E9%96%93-%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%99%B6%E4%B8%80/dp/4295010367

甲子園という病

氏原英明[2018]『甲子園という病』 ,新潮社(新潮新書

 「甲子園至上主義」高校野球に対して,もっと高校生らしい野球,部活動,ひいては若者の育成を行うように,警鐘を鳴らすルポ。けっして甲子園で身体を壊した悲劇のヒーローに焦点を当てるだけではなく,現代にふさわしい監督の指導方法とは何か,文武両立に対する高校生の取り組み方はどんなものか,著者は,複数の事例を挙げながら,提唱する。

 第1章では,2013年に木更津総合高校のエースだった千葉投手を紹介。高校生のがむしゃらさを止められるだけの大人の意見や環境づくりの必要性を訴えかける。千葉投手の「異常な」投球は,ネット動画にもアップロードされているので,それを見ながら本章を読むと,問題の大きさを把握しやすい。

 第2章は,いわゆる指導者のエゴを問うもの。ここにケガに泣いた選手として,岸潤一郎選手が紹介されているが,彼は2019年のドラフト会議で埼玉西武に8巡目で指名された。右肘の靱帯を損傷しながらも,プロ入りが叶い,2021年には一軍での出場機会を大いに得られた同選手には,著者も今後ますます取材をしたいに相違ない。

 第3章では,松坂大輔投手と黒田博樹投手から考える”早熟化”がテーマとなっている。選手生命の末路として,どちらが良かったのか,横浜高校の恩師の言葉も交えて陳述している。

 第4章では,メディアが潰した「スーパー1年生」として,酒田南高校のスラッガーだった美濃一平選手のエピソードを語る。地方都市においては,おらが町にヒーローが突如誕生すると,それを周囲が持ち上げてしまう傾向にあるが,やはり10代の若者に背負わせる期待はあまりにも大きい。こうした高校球児の学校生活に対して,大人の責任を投げかける。

 第5章では,野球の指導方法指導者の在り方について論説。プロ・アマを問わず,「しっかりと指導者が勉強をする,研修を受けるような機関を作って,段階を踏んで指導者になるべき」(94頁)と持論を展開させる。

 第6章では,「プレイヤーズ・ファースト」の概念が,とりわけ高野連に欠如している点を追求する。高校野球の制度自体も近年タイブレークを導入するなど,変わりつつはあるが,それでも,その変革の遅さを痛烈に批判する。

 第7章は,「楽しく」野球をやる原点を,福知山成美高校の事例を通じて紹介。とくに「食事トレーニング」に対しては拷問であるとして,厳しく批判する。

 第8章は,沖縄県美里工業高校の指導者を事例に,高校生に対して求められる野球以上の教育的観点について言及。高校のレベルに応じて,生徒たちが野球だけでないものを高校全体で身に付ける重要性を訴える。

 第9章では,安田尚憲選手(履正社千葉ロッテ),根尾昂選手(大阪桐蔭→中日)へのインタビューをもとに,野球を身に付ける下地になったものを紹介。とくに安田選手は歴史書の多読から勉強への理解力を修得し,根尾選手はスキーで鍛えた体幹が野球にも活かされていることを謳った。

 最終の第10章では,近年の高校野球が形式的なものにとらわれ過ぎて,高校生の個性やエネルギーの発動にブレーキをかけている物足りなさを批判し,本来の高校野球が「教育」の一過程に過ぎない点,そして大人の都合で彼らの可能性を狭めている点を強調している。

 読書前は,現行の「甲子園」,すなわち春夏の高校野球制度自体への批判かと思っていたが,本書を読み込んでいくうちに,話題は日本の中等教育の現状と改善点への進化していく。これは,野球なり,部活動なりで収まる範疇ではなく,肝心の勉強面自体が大学受験至上主義になっていることとも重複してくるだろう。勉強も,部活も,プライベートも,楽しいと思えるような高校生を増加させる努力を,「大人」は今後さまざまな場面で考えていかなければならない。

 ただし,第3章の松坂大輔評に対しては,現役を引退した今日において,どういう野球人生が望ましかったのか,松坂本人の意見も交えて,改めて問われるべきだと思われる。

 

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KEIO革命

江藤省三[2010]『KEIO革命』 ,ベースボール・マガジン社(ベースボール・マガジン社新書)

 著者・江藤省三熊本商京商慶大巨人中日を経て,慶大野球部監督)による「私の履歴書」。元プロ野球選手が東京六大学野球の指導者に就任する意義を展開。

 選手としてはイマイチだった江藤が,アマ野球の指導者として信頼されるのは,その情報収集力にある。小学校から中学校にかけて日記を毎日つけて(66頁),巨人入団後は,出席した全ミーティングの内容をノートに記していた。しかも,キャンプ中には部屋で清書し,カタカナを英文表記に書き直していたという(163-165頁)。「自分の得た情報というのは,整理して文字に改めて目から入れないと身につかないものなのだ」(167頁)という主張にも,説得力が増す。

 往時のエピソードで興味深いのは,実兄・江藤慎一のプロ入団背景。西鉄広島大毎中日の4球団から江藤が選んだのは,トランクに現金1,000万円詰め込んできた地元の西鉄ではなく,一番安い契約金を掲げた中日だった(68-70頁)。時は,西鉄が巨人に日本シリーズ3連覇を果たした1958(昭和33)年。もし西鉄のスカウトが,三原脩監督就任時の如く,江藤を積極的に獲得していたら,その後の西鉄ライオンズの歴史は,もう少し変わっていたかもしれない。

 この図書で一番不満なのは,なんといっても書名である。「KEIO革命」というワードは,慶応のユニフォームのロゴから連想させたのだろうが,読者に何を著した本なのか伝えられていないし,慶応の塾生・塾員に対しても,ピンと来るインスピレーションに欠如している。野球が好きな塾員に読ませたいのであれば,「塾野球部」という表現を用いるか,あるいは「慶応」と漢字表記しないと,財布の紐はそうそう緩まない。

 

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セイバーメトリクスの落とし穴 マネー・ボールを超える野球論

お股ニキ(@omatacom)[2019]『セイバーメトリクスの落とし穴 マネー・ボールを超える野球論』,光文社(光文社新書

 本書は,セイバーメトリックスに代表されるデータ分析によった選手評価・球団経営を批判し,「本当にファンが求めている野球とは何なのか,エンターテイメントと結果重視のバランスを再考する」(27頁)ことを目的としている。

 著者であるお股ニキ氏はTwitterのハンドルネームであって,もちろん本名ではない。しかし,いよいよ出版業界にも,HNとアカウント名で書を著す時代が来たものだ。

 本書の構成は,第1章で野球を再定義したのち,第2~3章でピッチング論を投球術と変化球の側面から,続く第4章でバッティング論,第5章でキャッチャー論,第6章で監督・采配論,第7章で球団経営・補強論,第8章で野球文化論を再考する。

 このうち,著者が最も力点を置いているのが,ピッチング論とキャッチャー論だと推測される。所詮,野球はバッテリーの存在を以て始まるスポーツであり,ピッチャーがいかなる球種を投じるか,そのボールをキャッチャーはいかに捕球して審判にストライクと言わしめるのかが重要だという証左でもある。

 我々団塊の世代Jr.が1970年代後半か,80年代前半にエポック社の電子野球盤で遊んでいた頃,ピッチャーの変化球といえば,スライダー,カーブ,シュート,フォーク,そこにチェンジアップが加われば良いほうだった。しかし,20-21世紀転換期あたりから,ピッチャーの球種はバラエティーに富み始めた。スプリット,ツーシーム,フォーシーム,カッター,シンカー等々,何が違うのかが,素人では明確に分からなくなってきており,複雑すぎた挙げ句,それがまた野球観戦をつまらなくさせてしまっている原因かもしれなかった。

 本書第3章のピッチング論後編(変化球編)では,その点を実に理論的に,かつ明確に解説してくれている。すなわち,ボールの変化方向としては,食い込むか逃げるかという横の変化と,ホップするか落ちるかという縦の変化が組み合わされて成り立つ。それを構成しているのが,ボールにかかる重力,抗力,揚力である。これらの力の作用が,ボールの回転方向,回転数,速度を決め,それぞれの結果によって,シンカー→チェンジアップ→スプリット→ツーシーム→フォーシーム→カッター→スライダー→カーブという順に,変化球が決まる。いわば,ピッチャーの投球とは力学の実践版であり,かなり頭を理論的に使うスポーツでもあることが,改めて認識される。

 他方,キャッチャーの役割として,著者はとりわけフレーミングの重要性を謳う。それは,けっして捕球してからミットを動かす「ミットずらし」ではなく,「ボールの軌道を読んで先回りしてから,アウトサイドインでミットの先端で捕球すると同時に真ん中に引き寄せる」(168頁)技術を表すという。

 著者によるTwitterの呟きが,ダルビッシュ有投手のコメントを受け取るうちに,新書レベルまで発展した経緯については,甚だ驚くばかりである。ただし,「かつては新聞の巨人やホテル,土地,百貨店の西武が球界の中心」(281頁)とあるが,百貨店を擁するのは西武ホールディングスではない。(昨今の資産売却状況を認識できれば,防げるミスである。)今後訂正が求められると同時に,やはりプロ野球が理論だけで語れない難しさでもある。

 

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伝説の西鉄ライオンズ

益田啓一郎[2014]『伝説の西鉄ライオンズ』,海鳥社

 本書は,2010年10月~12年9月の2年間,『産経新聞』九州・山口版に連載された「伝説の西鉄ライオンズ 生誕60周年」を題材に,著者が加筆・修正したものである。

 2008年に西鉄ライオンズの親会社である西日本鉄道(株)が創立100周年を迎え,その『百年史』に球団の歴史を刻んで以来,福岡では西鉄ライオンズの歴史を再評価する動きにある。それ以前にも,たとえば三原脩監督の一代記を著した立石泰則[1999]『魔術師』,文藝春秋や,稲尾和久[2002]『神様,仏様,稲尾様――私の履歴書』,日本経済新聞社といった著作を通じて西鉄球団のエピソードを把握できたが,やはりかつての親会社が全面的に協力して資料を提供し,球団の歴史が解明できるようになった点は大きい。著者は,前著(益田啓一郎[2009]『西鉄ライオンズとその時代』,海鳥社)においても同社に遺る球団の記録写真を厳選していたが,本書においても,それらを挿絵として利用し,当時の選手,フロント,観客や福岡市民の表情を豊かに掲載している。この点は,本書の特筆すべきポイントの1つである。

 2つ目のポイントは,日本シリーズ三連覇を遂げた頃(1956~58年)の野武士野球の実態に迫り,そのイメージを転換させた点にある。「あとがき」にも記されているが,豪快なプレースタイルとは裏腹に,酒を飲めない,ないしは飲まなかった「野武士」も少なくなかったようである。こうした新しい逸話を本書に盛り込めたのも,ひとえに著者がOBや関係者から直向きに証言を得てきた結果であろう。

 本書に対する評者のコメントは,以下の2点にまとまる。

 第1は,本書の構成である。本書は3章(「誕生!史上最強軍団」,「サムライ列伝」,「野武士伝説」)に大別されるが,各章の内容にそれほど大きな差異は見られない。これに加えて,各エピソードの紹介順がけっして時系列で進行しているわけでもない。したがって,話題の展開に対するダイナミズムに欠け,些か静態的に感じてしまう側面がある。

 特に最後のエッセイでは,「背番号3の系譜」として,日本プロ野球界で最初に背番号3を付けた選手である巨人軍田部武雄を紹介しているが,彼は,西鉄ライオンズ誕生以前の1945年に沖縄地上戦で戦死している。むしろ,このエッセイの前に掲げられた「打撃練習に新兵器」(西鉄の投手として活躍した坂上が引退後にバッティングマシンを発案し,ライオンズの打撃練習に使用したこと,そして坂上自身が後楽園球場の右翼スタンド下に硬式バッティングセンターを開設し,球場閉場まで営業し続けたこと)を,本書のクライマックスに据えたほうが,伝説の余韻を残しやすかったのではないだろうか。

 第2の評点は,いまや伝説となった西鉄ライオンズの球団史をどのように位置付けるかである。その際,留意すべき点が2つある。1つは,同時代的な共時性の問題で,往時の西鉄ライオンズ史だけを語っても,それは一地方球団史に終わってしまう。プロ野球の歴史は,好むと好まざるとに拘わらず,セ・リーグ,ひいては巨人を基軸にしてきた都合上,それらとの関係性や対称性がより相対的に描くことができれば,伝説となった球団の存在意義がもっと明確に浮き出るに相違ない。

 いま1つは,クロノジカルな通時性の問題で,西鉄ライオンズ史を語るうえで,三連覇の時期だけを限定的に採り上げるだけでは,やはり「良いところ取り」の印象を拭いきれず,単なるノスタルジーに終始してしまう嫌いがある。西鉄ライオンズは,良くも悪しくも,短期間に絶頂とドン底を経験した稀少な存在であり,その両面を採り上げることが,この球団自体,ひいては福岡・九州の戦後史をこれから再検討するうえで,必要不可欠な姿勢である。そうはいっても,この評点は本書の目的を大幅に超越しているので,どちらかといえば今後の野球史全体の課題だといえよう。

 

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ラジオで伝えたライオンズ ~監督・選手たちと過ごした二十七年~

中川充四郎[2011]『ラジオで伝えたライオンズ ~監督・選手たちと過ごした二十七年~』,文芸社

 文化放送ライオンズナイターのリスナーにおいて,「中川充四郎」の顔をすぐに思い浮かべられずとも,その名を知らぬ者はいるまい。本書は,1982年から2009年までの27年間,ベンチリポーター,コメンテーターを務めた著者による監督別,選手別,そしてキャンプ地別の回顧録である。

 これまで元選手の自伝や出版物は数多く見られた。たとえば,鹿取義隆[2008]『救援力――リリーフ投手の極意』ベースボール・マガジン社は,本書と同年代における巨人や西武のチーム事情を対照的に描いていて興味深い。とはいえ,選手によっては,オフレコで執筆できない裏事情があったり,自らの功績や貢献を照れくさくて表現できないこともあるだろう。

 しかし,著者のような立場で,すなわち,チームの当事者ではなく,かつスポーツ界の素人(レポーター以前はマクドナルドに勤務)からレポーターを開始し,長年チームに密着してきた人は,読者からすれば,監督・選手の横顔を客観的に評価することが可能な唯一の人材ではないだろうか?貴重な一次情報の提供という意味でも,本書の役割はきわめて大きく感じられる。

 せっかくだから,本書から,著者らしいそのようなエピソードを,2点選り抜いてみよう。

(1) 球団移転当初,西武球場の平日ナイターは午後6時半プレーボールだったが,番組の開始時間は6時。つまり,プレーボールまでの30分間,番組の穴埋めをしなければならなかった。さらに,試合開始が遅いと,(独特の立地事情ゆえ――評者注)最後まで球場で試合を見られないファンも多い。番組がそういうリスナーの意見を集約し,球団と交渉した結果,開始時間が早まり,番組開始→即プレイボールが実現した(16-17頁)。

(2) 2007年の秋季キャンプから,デーブ大久保打撃コーチが夜間練習の代わりに発案したアーリーワークが,翌年の日本一達成に遠因になったことは有名だ。実は,この「アーリーワーク」というネーミングには,充四郎さんも一役絡んでいた。キャンプ初日,メニューに「早朝練習」と記されていたが,充四郎さんがデーブに,「『早朝』だと,やらされているイメージが強い」と話したところ,「アーリーワーク」という名称で意見が一致し,翌日から早速取り入れられた(129-130頁)。
 このようなエピソードは,著者が口を開いてくれないと,おそらく闇に埋もれた事実と化していたに違いない。そういう意味で,自称ファン歴40年の評者も,非常に新鮮な気持ちで読むことができた。

 文体も滑らかで,ラジオからトークを聴いているかのよう。かつ,レトリックに富んでいて面白い。たとえば,次のような選手エピソードがある。「鈴木健は,「打高守低」という特徴のあるプロ選手を輩出する,浦和学院高校出身。キャンプでは,打撃練習と守備練習に向かう表情がまるで別人。(中略)この伝統は,しっかり高校の後輩・石井義人が受け継いでいる。守備の面も含めて」(139頁)。東尾渡辺久信石井貴といった「伝わりやすい」選手には,屈託のない表現が並ぶ。他方で,田辺鈴木健など,ダンマリ派のエピソードにも事欠かない。(健さんは最近,解説に,Twitterに,軽やかな口調になっている。笑)ただ,清原には少し気を遣っているのだろうか。巷間で言われている姿だけが実像ではないよ――という思いが伝わってきた。

 紙面の都合上,掲載できなかった選手もいただろう(大田松沼兄弟など)。また,助っ人外国人選手を特集した章があっても良いかと思った。なにしろ元祖AKBは,秋山,清原,バークレオなのだから…。番外編の「パリーグ 今はなき思い出の球場」は,日本ハム,ロッテ,南海,阪急,近鉄の各ファン,そして平和台で観戦していた博多っ子にも目を通してほしいところ。このような本が,12球団揃うことを願って止まない。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/4286100162

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メットライフドーム(2019年9月20日,筆者撮影)