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「名コーチ」は教えない

髙橋安幸[2022]『「名コーチ」は教えない プロ野球新時代の指導論』集英社

 本書は,「名コーチ」とはどういう人を示すのか,どういう条件を備えている人なのかを,明らかにしようとするドキュメントである。
 ファンはしばしば,エラーやミスをする選手に対して,「コーチがもっとしっかり技術を指導しろよ」と批判するが,技術指導だけがコーチではない。それに加えて,従来の昭和時代型コーチは,自身の経験だけを素材とした命令基調のティーチングであったが,それで結局,多くの若手選手が成長してきたわけではない。なかには,そうした経験自体が,のちに反面教師になることもあり得た。著者は,監督でもなく,選手でもなく,コーチという存在に焦点を当て,2021年時点で球団に所属していたコーチングスタッフ6人に取材を行い,本当の「名コーチ」の条件を探究することに努めてきた。
 序章に続いて,本章では,6人のコーチ(石井琢朗鳥越裕介橋上秀樹吉井理人平井正史大村巌――以下,人名は敬称略)が,1人1章ずつ,著者のインタビューに対して,コーチングのプロセス,そして「名コーチ」とは何かを回答している。まず,6人のコーチングには,投手・野手を問わず,なんでも教え込むのではなく,選手自身に主体的な達成感をもたせることを共通点としている。ただし,そこに至るアプローチは,6人6様であった。たとえば,鳥越や大村のように,家庭的な躾という観点から入団まもない選手たちを育成する方法もあれば,橋上のように,データをもとにして主力選手と個別に対話したり,吉井のように,大学院へ進学し,専門的な心理学や生体力学の研究を修得した成果コーチングの現場で活かすやり方などがある。橋上と吉井の受け答えが理論的かつ具体的である分,他の4コーチのコーチングがやや抽象的・一般的な印象を拭えなくはないが,それでも本書としては,さまざまな事例を列挙することに意義がある。
 読者によっては,贔屓の球団におけるコーチングを垣間見るという読み方をするケースもある。ライオンズファンとしては,橋上秀樹を語る第3章は,熟読するに値する。
 ファンの間では,いわゆる「暗黒時代」と呼ばれる田辺監督期の最終年(2016年)に,ライオンズの作戦コーチに就任した橋上は,チームの三振数を減らすことを至上の命題とした。そのターゲットとなった浅村栄斗森友哉に対しては,彼らと個別に対話することで,両選手とも2ストライク後の打撃が改善され,つなぐ打撃の大切さを再認識できるようになったという(88頁)。また,金子侑司に対しては,それまでの打撃練習で中村剛也や浅村と同じようなバットの振り方をしていたのが,自身のセールスポイントを強調させることで,選球眼が磨かれたという。そういう意味で,2018~19年の「山賊打線」は,橋上のコーチング力なくして語ることはできないといえよう。紙幅の制約で省略されたのかもしれないが,惜しむべくは,浅村,森,金子が,橋上のサジェスチョンをどのように受容していったのか,その返答も,言葉として聞いてみたかった。
 最後に本書の構成に関して,2点指摘しておきたい。
 第1に,序章は,「名コーチ」とは何かの問題提起をしながら,かなりの具体例も書かれていたために,幾分長く感じられた。序章では問題提起のみを語って,荒川博土井正博根本陸夫の部分は,各論が展開されるまでの短い第1章としたほうが,読者には読みやすかったかもしれない。なぜかというと,根本による「どれだけその選手の目標をサポートできるか」という台詞が,序章にして,本書の結論となっているため,読者によっては,各章を読む必要がないとも思ってしまうからだ。
 第2に,「名コーチ」の条件を,どのようにカテゴライズするか,この結論がやや弱かった。「コーチになるからには自ら勉強するしかない。近道はなく,地道に続けるしかない」(216頁)という締め括りでは,この議論が先に発展しづらいからである。そのなかで,アナリストとコーチの関係性(212-213頁)を今後の課題として設定したのは,非常に有益だろう。橋上・吉井型のコーチングはアナリストとマッチしやすいが,鳥越型のそれはどのように関係性を築いていくのか,続編を待ちたい。