国鉄スワローズ1950-1964 400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団
堤哲[2010]『国鉄スワローズ1950-1964 400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団』,交通新聞社(交通新聞社新書020)
国鉄がなぜ「スワローズ」というチームを持つことができたのか,あるいは国鉄と野球(プロアマ問わず)との深くて長い関係性について解明した一冊。巻末には,国鉄が球団を設置するときの要項案や,国鉄スワローズ登録選手・監督・勝敗の一覧が付いており,一次資料として見ても興味深い。東京ヤクルトスワローズのファンは必読。つば九郎は,もう読んだのかな?(笑)
初版,140頁の「当時金田の年俸は900万円だから,10年選手のボーナスは1800円プラス1080万円の計2880万円が上限となる」は,「1800万円プラス180万円の計1980万円」の誤記だと思われる。なぜなら,「ボーナスは年俸の2倍,プラスアルファの参稼報酬は年俸の20パーセントまで」と前述されているからである。であるならば,年俸300万円にも達しない阪神・田宮謙次郎の大毎オリオンズへの移籍金3000万円が,いかに高額だったか,より明確になるだろう。
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沢村栄治 裏切られたエース
太田俊明[2021]『沢村栄治 裏切られたエース』,文藝春秋(文春新書1300)
沢村栄治の球は,本当に“ホップする球”だったのか――沢村の儚く短い人生とともに,ここに焦点を当てた伝記。これを証明するために,著者の検証方法が,褒める意味で,実にネチっこい。検証結果はさておき,著者の学生時代の野球生活で,3回“ホップする球”を打席で見てきた経験が,分析に説得力を持たせている。
栄治の妻・優に関するエピソードに関しても,一人娘の美緒さんに直接インタビューしてきたところが,興味深い。取材の年月が「2020(令和2)年9月」と書かれているので,コロナ禍の間隙を縫って,愛媛県松山市まで足を運んだのだと思われる。タイミングの運・不運を最も重く背負った男の娘さんだけに,取材するタイミングについても待ったなしだったのだろう。
沢村の伝記を読むと,巨人軍や正力松太郎の存在が絶対視されている傾向が,往々にしてあるが,本書では,戦前期における巨人軍の停滞や苦悩が,省かれずに描かれている。そのためには,タイガースという球団の存在が,きわめて重要である。その監督だった石本秀一や,沢村とともに戦死した景浦将,戦時・戦後に彼らと対極的な人生を歩むことになった若林忠志といったライバルたちにも,著者が沢村と均等に注目しているので,沢村のマウンド姿と成績をより客観視できるように読み込めた。他方,彼らと比較して,巨人の総監督・代表だった市岡忠男が,非常に厭らしく描かれている。伝記には,こうした敵役の存在も必要なのであろう。
戦時期に「物資が不足してボールの芯はコルクから化学繊維のスフになり,ボールがますます飛ばなくなって,職業野球は極端な投稿打低の時代に入っていった」(220頁)という指摘も,現代の視点からすると,忘れられがちな成績評価の一つである。
野球は,敵性スポーツの烙印を押されたがために,中等学校野球,東京六大学野球,都市対抗野球が相次いで中止に追い込まれた。そうしたなかで,職業野球は,形式を「報国」に転向させながらも,なんとか1944(昭和19)年まで存続させた。そして敗戦後,皮肉にも占領国の国民的スポーツとして,いち早く復活した。
こう考えると,戦前の職業野球と戦後のプロ野球は,上から見て断絶しているのかもしれないが,戦禍を掻い潜ってきた選手と観衆は,沢村をはじめ,戦場に散った人々の魂をこめてプレーしていた点で,下から見れば連続していたと評価できる。そうした時期を描いた第7章は,終章ではなく,本章の構成に含まれているが,これはこれで良い形のエピローグだと思われる。
気になった点があるとすれば,1937(昭和12)年の年度優勝決定戦が,「日本シリーズ」(211頁)と記されたことか?正確な表現ではないかもしれないが,セパ分離後のそれに匹敵する選手権だったという意味を,著者が醸し出そうとしているのであれば,それで良かろう。
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